ポスト大泉洋さんのローカルスターは!?


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001 2020/07/19(日) 09:12:15 ID:3LfyH0w13o

下嶋 兄(しもじま けい、1983年1月13日 - )は、日本のタレント、スポーツリポーター、俳優。

しもじま けい
下嶋 兄
本名
下嶋 兄
生年月日
1983年1月13日(37歳)
出生地
東京都
国籍
日本の旗 日本
身長
171 cm
血液型
O型
東京都出身。血液型O型。身長171cm、体重59kg。帝京高等学校卒業、日本大学文理学部中退。

峰竜太、海老名美どり夫妻の長男。一般人の姉がいる。

来歴・人物 編集

2002年の日本大学1年次に「礼儀作法を身につけさせたい」との両親の意向で、礼儀作法に厳しいジャニーズ事務所に入所する。

2010年7月30日、読売テレビ(YTV)の『情報ライブ ミヤネ屋』でテレビ信州のキャスターとして登場、父親の峰とテレビ信州アナウンサーの松井美幸と共に黒部ダムの観光の様子等々の中継も交えての出演を親子共々に行った。翌31日も『ウェークアップ!ぷらす』にテレビ信州のキャスターとして登場し、読売テレビアナウンサーの五十嵐竜馬と共に黒部ダムの中継をした。

熱狂的な中日ドラゴンズファンで父親が東海テレビにて中日ドラゴンズ応援番組『ドラHOT』のMCを担当している関係から、2011年よりJ SPORTSのプロ野球中継・J SPORTS STADIUMの東海テレビ制作中継ではベンチリポーターを担当する[1]。ベンチリポーターという役割の為、普段の中継時に顔を見せる事は無いが、1度だけJ SPORTSの放送席に登場し、挨拶をしたことがある。

2013年4月よりテレビ信州『情報ワイド ゆうがたGet!』金曜日MCとしてレギュラー出演、ラジオ日本で父の番組『峰竜太のミネスタ』の月曜日中継レポーターとして2016年9月まで出演した。

2019年11月19日、結婚したことを伝える[2]。

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002 2020/07/23(木) 06:25:56 ID:y4pbv6GyZA

松山 三四六(まつやま さんしろう、1970年7月9日 - )は、日本のものまねタレント、リポーター、ラジオパーソナリティ、長野大学社会福祉学部客員准教授。JVCエンタテインメント所属。ものまねタレントとしては、三四六として出演している。
生年月日
1970年7月9日(50歳)
出身地
東京都
本名は秦 光秀(はた みつひで)。旧芸名は、松山 三四郎(まつやま さんしろう)、三四郎。
明治大学在学中の1994年に日本テレビの「史上最強ものまねバトル大賞」の素人選手権で優勝し、吉本興業所属で芸能界デビュー。同年に「オールナイトニッポン」のパーソナリティをつとめ、同時にラジオパーソナリティとしてもデビューするが、ブレイクするのは1998年。同年4月にスタートしたTOKYO FMの「エモーショナルビート」のパーソナリティを任され人気番組に押し上げたのである。
2000年9月に番組が終了すると活躍の場を長野県に求め、2001年4月からスタートしたFM長野の「346 GROOVE FRIDAY」のメインパーソナリティを務め、以来活動の主軸を長野県において芸能活動をしている。
芸名の三四六は柔道の姿三四郎にちなむとされており、現在の所属事務所移籍時に松山三四郎から改名している。ちなみにこの松山は松山千春から千春の物真似の実力を認められ直々に命名されたものだった。
1998年に「ものまねバトル大賞」で共演した女優の網浜直子と結婚し、2子がいる。

長野県での活躍 編集
FM長野の番組「346 GROOVE FRIDAY」が開始され、2006年4月1日に長野朝日放送(abn)で放送中のローカルワイド番組「ザ・駅前テレビ」MCを務めるなど、本格的な長野県内テレビデビューを果たす。
2007年12月8日放送の「ザ・駅前テレビ」の企画「三四六教授が行く! 〜初冬の塩田平で教鞭をとるのだ!〜」における長野大学での講義及び実習がきっかけで、2008年5月1日に同学の社会福祉学部客員准教授に就任した[4]。
FM長野の番組で「税金は誰しもが払う義務があります。例え身体の具合が悪い人も通院や薬を控えても払わなきゃいけないのです。」と言っていた。
上記番組以外では『346 Bar』(信越放送)にも出演していた。長野県のテレビ局やFMラジオ局を中心とし、現在でも多方面で活躍中。
また「信州ラーメン博」や「ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)」の開幕試合等々の総合司会などイベントなどでも活躍。「BCリーグ」に参戦中の地元長野県を拠点とする「信濃グランセローズ」に対してはその公式応援歌「戦場のカモシカ」を提供するなど、応援団長という肩書きの元に親密な関係も構築している。
インターネットでの活躍 編集
株式会社カレッジリーグの運営する大学生向けSNSサイト「e-college」で、毎年春の新入生入学シーズンに『キャンパスハッピーライフの伝道師』として、期間限定でインターネット動画に登場し、自身の大学時代(柔道部在籍)を語っている。
「346 GROOVE FRIDAY」にリンクした三四六の公式ブログ、「三四六語録」も展開していたが、諸般の事情により、一時休止していた。その後、ヤプログ!からダイヤモンドブログに移転、2009年4月16日より更新を再開した。

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003 2020/07/23(木) 07:08:41 ID:y4pbv6GyZA

シャバ駄馬男(しゃば だばお、1968年5月25日 - )は主に秋田県を中心に活動するローカルタレント。秋田県秋田市出身。

概要 編集

1995年、秋田テレビの情報番組「なんでもアリーナ525」に準レギュラーとして出演。以後秋田県内のテレビ・ラジオ番組に出演する他、イベントの司会やDJとして活動。全国的な仕事としては映画『釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?』へのゲスト出演などがある。

同じく秋田を中心に活動するバリトン伊藤とは、「ぷぁぷぁ金星」など様々な番組で共演している。 また、一時期はDJ92(-くに)としてラジオ出演している経歴もある。

2006年12月30日放送の特別番組で、爆笑問題の太田光に(名前について)絶賛され、翌日には12月30日のインターネット検索ランキング1位になったこともある。

 高校卒業後東京へ出て喫茶店でバイトをするが、その時のバイトメンバーに出川哲朗がいた。2人はよく「猫とバラの日々」というバーに飲みに行き、お互いの恋愛感を熱く語っていた。(シャバラジオ番組でのトーク)

 本人は中学時代BCLにはまり、海外の日本語放送をエアチェックしては受信状態を細かく記録し、様々な放送局よりベリカードを入手していたという。そんな財産も、何かのきっかけで紛失してしまったようだ。(テレビ番組で)

 タレント活動をする前は、地元ディスコのダンスコンテストに何度か出場しており、数回優勝をしたことがある。またビッグエコー主催のカラオケコンテストでは徳永英明の「壊れかけのRadio」を歌い準優勝している。(プロフィールより)

長年の夢でもあった、ディズニー映画「ライアンを探せ!」で声優デビューも果たしている。

2009年、「レストアナイトプロジェクト」というイベントオーガナイズチームを立ち上げ、大箱ディスコの復活イベントを主催。

2011年からは、日本フットボールリーグ所属、ブラウブリッツ秋田のスタジアムDJも担当。

2013年よりプロバスケットボール bjリーグに新規参入する、青森ワッツのアリーナMCを担当。

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004 2020/07/25(土) 16:04:26 ID:KO.HVZ6VDE
【群馬県で充電中です!】
佐藤 寛之(さとう ひろゆき、1970年11月2日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の歌手、俳優、元光GENJIのメンバー。身長168cm、血液型AB型。
職業
ミュージシャン
俳優
活動期間
1987年-
公式サイト
Satoh Hiroyuki official website
所属事務所 編集
ジャニーズ事務所 → ディー・キュー・アイ → GENJI GURUMA
【ワタナベエンターテインメントに移籍して中山秀征さんとNHK大河ドラマにW主演したらブレイクすると思います!】
人物・略歴 編集

1983年5月3日にジャニーズ事務所に入所。
光GENJIのメンバーとして1987年8月19日にレコードデビュー。 光GENJI時代のイメージカラーは水色だった。
光GENJIのメンバーの中では年齢が上下どちらから数えてもちょうど4番目という中間の立ち位置で、更に温厚な人柄を思わせる外見などから、カトリーヌあやこ、コトウミホウらによって漫画化される際など「秀才」・「優等生」的なキャラクターを強調される事が多く、ソロ曲にもそれを裏付けるかのようなバラード曲が多い。
正反対なキャラクターで同い年の諸星和己や、また年下のメンバーであった山本淳一、赤坂晃、佐藤アツヒロとも仲が良い。山本とは「一生悪友同士でいよう」というほどの関係である。
光GENJIの内部ユニットであるSAY・Sメンバーとしても活動。山本曰く「いいお兄さん」的存在であり、最年長メンバーとしてユニットをまとめ、支えた。
1994年、大沢樹生の脱退意思を知り「光GENJIは7人でなければ意味がない」と思い自らも脱退を決意。大沢への相談等は一切なく独断だったが、同年8月31日、彼と共に光GENJIを脱退、ジャニーズ事務所を退社。その後はソロでCDデビューし、ライブ活動やイベントを中心に活動している。
2000年に、バンド「P.O.E」を結成し、ボーカル、ギター、キーボードを担当。
一時は徳永英明、ASKAの影響を強く受けていたが、その後は1970年代の英ポップスに影響を受けている。 また、インターネットラジオに出演するなどの精力的な活動をしている。
マイケル・ジャクソンやMr.Childrenのライブに行くミーハーな面もあった。
スイーツ好きであり、大の高所恐怖症でもある[1]。
近年、光GENJIの盟友である大沢、諸星、山本、佐藤アツヒロ、同時期に活動していた忍者の正木慎也、柳沢超との交流があったことが確認されている。
2011年6月、諸星和己、山本淳一と共に、TUBEの東日本大震災復興応援歌「RESTART」に参加した。
2018年5月、群馬県沼田市観光協会より観光アンバサダー(大使)に任命された[2]。祖父母が沼田市に在住しており、両親も沼田市生まれという[3]。

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005 2020/07/25(土) 18:36:30 ID:KO.HVZ6VDE

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ジェームス 英樹( - ひでき、1972年3月10日 - )は、茨城県内で活動しているローカルタレント。本名は中野 英樹(なかの ひでき)。茨城県・水戸市出身[1]。
茨城県水戸市出身。血液型はA型。
大学卒業後、会社員となるが後に司会業に転職。[2]結婚式の司会[3]、イベント司会、ラジオパーソナリティー、タレント業へと活動を広げる。茨城ロコスタである。
趣味はウクレレ、ビーズ、シルバークレー、呑み歩き、筆文字カード制作。[4]
好きな食べ物は、ハンバーガー。自身の番組でもオリジナルのハンバーガーを開発するコーナーを設けていた。[5]
現在でも、茨城県内のハンバーガーショップが一堂に会するイベント「バーガーバカ」を企画・主催している。[6]
出演番組 編集

現在の出演番組 編集
ラジオ 編集
茨城放送
「夜遊びジェームス」(毎週月曜 20:00 - 21:00)
FMひたち
「ジェームス大放送」 (毎週木曜 19:00-21:00)
「ハラペコキッズ」(毎週日曜 12:00-14:00)
インターネットテレビ 編集
「Vチャンネルいばらき・火曜日」(Vチャンネルいばらき(茨城県土浦市),毎週火曜 15:00 - 配信)[7]
「ひでき、きいてるの?」(ちゃんみよTV(茨城県牛久市)月一回配信)[8]
過去の出演番組 編集
茨城放送[9]
「ジェームス英樹のRadio Days」
「平成カンカン娘」(メインパーソナリティー)
「ロケットナイト」
「恭ノ介のココで語れば」(レポーター)
FMぱるるん[10]
「Funky Town」
「Net Jam Box」
「W・O・R」
FMひたち[11]
「ごじゃっぺいがっぺ」
「ジェームス20世紀男」[12]
群馬テレビ[13]
「トランス」
JWAY[14]
「ジェームス英樹と野球deと〜く」
「Hola!サタデー」[15]
NHK水戸放送局
「第2回クイズ茨城王決定戦」[16]
いばキラTV
「いばキラ★NIGHT木曜日 ジェームス英樹のFATBLOOM」[17]
「ジェームス英樹のじぇ〜散歩」[18]
「いばキラStation」[19]
「いばキラpeople!」[20]
GYAO!
 千鳥の「ロコスタ」
脚注

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006 2020/07/26(日) 09:43:11 ID:xUAVny/.g2

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鼻毛の森(はなげのもり、1976年8月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、司会者、フリーライター、コラムニスト。

鼻毛の森
Hanagenomori prof.jpg
鼻毛の森オフィシャルサイトより
基本情報
生誕
1976年8月6日(43歳)[1]
出身地
日本の旗 日本、富山県砺波市
ジャンル
J-POP
職業
シンガーソングライター
ラジオDJ
司会者
フリーライター
担当楽器
ギター、ボーカル
活動期間
2004年 -
レーベル
エイフォースエンタテイメント
事務所
鼻毛の森エンターテイメントジャパン
公式サイト
www.hanagenomori.com
本名は橋詰 晋也(はしづめ しんや)[2]で、公式の総称は「鼻毛の森エンターテイメントジャパン代表橋詰晋也永遠の33歳独身花嫁募集中」[1][3]とし、「理想論撲滅ソング」の発起人として、自らの立ち位置を「J-POP界のセカンドオピニオン」と標榜する。

富山県砺波市出身[1][3]、石川県金沢市在住[2][3]。2016年以降はフリーランスとして活動している。

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